toll's notebook

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seepassyouagain:

知りあいと喋っていたら、子どものお弁当を作るべきか迷っているという。
彼女の子の通う保育園には給食があり、給食の子もお弁当の子もいるのだそうだ。

給食でいいんじゃない、と私は言った。
私はわりと頻繁に自分のお弁当を作るけれども、それは残り物を詰めて持って行っているだけのことで、義務として毎日、しかもある程度見栄え良く作れと言われたら、無理だと思う。
子どもがいないから想像でしかないけれど、私がふだん作っているお弁当を持たせたら、たぶん文句を言われる。なんだか茶色っぽいし、しばしば前夜と同じおかずが入る。秋刀魚の塩焼きの残りとかが平気で入ってる。

保育園の一食あたりの給食費は、(茶色でない)お弁当の原価より100円ちょっと高い程度だという。
つまり、残業制限を解除してフルタイムに完全復帰する彼女にとって、お弁当はたいした節約にならないのだ。

じゃあどうしてためらうのかと訊くと、
「なんだか作らなきゃいけない気がして…。それが愛情っていうか…」
と言う。
やれやれ、これだから日本の真面目なお母さんは。

お弁当を作るのが愛情なら、給食を頼むのも愛情だ。
お母さんは何が何でも滅私奉公して子どもの世話をする役割の人、ではない。
お母さんはお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんや、その他いろんな人と一緒に子どもを育ててる人だ。役割はおうちの事情を考えてお母さん自身が決めれば良い。給食が合理的な家で、そうしたいのにためらうなんて、変な話だ。

「世間というのは、つまり個人だ」という台詞があった。
世間は所与の前提でもなければ、従うべき規律でもない。見る人と見られる人によって変わるものだ。そして私たちが自分たちで作るものだ。
母親なら子どもの食事は三食作るのが当然だとする「世間」があるのなら、私はそんなの嘘だと言う「世間」になる。

「お母さんのごはんしか食べたことがないまま大きくなっちゃうと、余所のものを食べることになったときに子どもが大変じゃない?給食とか健康的なもので今のうちに慣れておいたほうが適応力がつくと思う。好き嫌いも減るだろうし、友だちとおんなじものを食べるのも楽しいだろうし」

私がそう言うと彼女はぱっと笑い、そうよねそうよね、やっぱり給食にしよう、と言った。
彼女だって何が何でもお弁当を作るのは変だと思っていて、だからそれを否定しそうな私に話を振ったんじゃないかな、という気がした。
そういうのってとても健全な心のあり方だ。単一の「世間」なんてないんだから、時には自分に必要なチャンネルを選んで、自分にとって正しい心もちになれるコンテンツを視聴することも必要だ、と思う。

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